先日、久しぶりに訪問した「旧白洲邸武相荘」。白洲正子さん没後20年として「たしなみについて」の新装版が刊行されてましたので、手に取ってみました。
新書版で、
・たしなみについて
・新しい女性のために
・智慧というもの
・進歩ということ
・お祈り
・創造ということ
の各随筆をまとめたものとなっております。
第二次世界大戦後まもなくの1948年に雄鶏社より刊行された初刊を、2013年に河出書房新社にて新書版化して発刊し、この度の新装版刊行となった模様です。
執筆当時と比べ、時代背景も変わっている中、今拝読しても、こころに響く多くの示唆をもらえることのできる本です。
例えば、、、
「たしなみについて」は、57のショートエッセイから構成されていますが、
10
「お能でも芝居でも義太夫でも長唄でも、素人が玄人に商売替えすると、折角今まであったいわゆる素人芸のよさをまったく失って、一文のねうちもなくなる人があります。それは、その人の芸に対する覚悟がたしかでないからです。・・・(中略)・・・素人のよさなんてもの、ほんとうはないのです。もしあるとすれば、それはその人の人間のよさです。」
また、18、では、イギリス貴族のおしゃれに関連付けながら、伝統について
「つまらない事です、馬鹿げたことです。でも、それが伝統なのです。くだらなくても外国人の追随をゆるさぬ、押してもついても動かない、---それが伝統というものです。」
21
「ごはんをよそう時、「ほんの少し」と言われても、いったいその人の言う少しとは、どの位の分量をしめすのか。
その「少し」をはっきりどれだけ、と知るのが私達の商売でございます。
と、ある呉服屋が言っていました。」
この、相手の気持ちを察して対応・行動するのは、まさにみにつけたい「たしなみ」です。
35
「遊ぶことは働くことと同じ程むずかしい事です。いや、遊ぶことの方がはるかにむずかしいのではないかと思います。
遊ぶことを知らない人は、遊ぶ時に、醜悪な、往々にして不健康な遊び方をしてしまいます。又、遊んでいるつもりでつい働いている人も居ます。何か理由をつけて、自分の遊びを意味ありげなものにしたくなる人もあります。・・・(中略)・・・
しかし、その上に、ほんとうに悠々閑々と遊ぶ事の出来る大人が極く稀に居ます(居る筈と思います)。それ程遊ぶのはむずかしい事であるのです。」
この「余裕」ともいうべきものをもって、本当の「遊び」のできる「いごこちよい」生活を過ごせたら、と思います。
そして、38では、清少納言と枕草子について、長めのエッセイを書かれています。抜粋となりますが、
「私は清少納言の肩が持ちたくなります。ただそれ故に。」
(紫式部が「紫式部日記」で叙述した清少納言に対するくだりに対して)
「才女として名の通った清少納言は、自分の存在を自他ともに認識させる為に、あらゆる機会を逃さずはずさず、一生芝居をつづけなくてはなりませんでした。遊ばなくてはなりませんでした。それが、彼女の「生活」だったのです。
「清少納言は実に淋しい人間であった。」
「清少納言のよさは・・・(中略)・・・中宮定子へのまことの心---ただそれだけです。」
あらためて、枕草子と清少納言に向き合ってみたくなりました。
この他に、源氏物語、西行、蘭、そしてお茶(利休)やお能(世阿弥)の「型」のお話など、
ここでは書ききれないほど、読み応えのある本です。
しかし、読み始めると、頭と心のなかで、自身にいろいろ当てはめてみたくなり、一気に読み切るほど夢中になります。
ご自身の振り返り、また、新たな発見のために、いかがですか。
【白洲正子さんの略歴】
1910年、東京生まれ。評論家、随筆家。日本の古典・芸能・工芸などの研究家。薩摩藩出身の海軍大将・樺山資紀、川村純義の孫。幼児より梅若宗家で能を習う。十四歳で米国留学、ハートリッジ・スクールを卒業し、1928年帰国。翌年、英字新聞記者だった白洲次郎と結婚。43年『お能』を出版。河上徹太郎、青山二郎、小林秀雄らを知り、審美眼と骨董、文章を修業。64年『能面』、72年『かくれ里』で読売文学賞受賞。1998年逝去。
(当該書籍より引用)
「たしなみについて」の新装版は、以下から入手できます。
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